刀剣研磨 -コラム-  一 覧表示

第2回 ; 日 本刀の刃について-その二

 まず、私の長年の愛読書【刃物のおはなし】尾上卓生・矢野宏 共著 日本規格協会 発行より抜粋


《1960年アメリカの金属学者, C.S.スミスはその著書「金属組織学の歴史」で現在に至る日本刀の鍛錬技術に関連させて, 「日本の刀の仕上げ研磨は,世界に類のない優れた金属組織学者の技術である。日本人は視覚的にとらえられる金属の構造を正しく評価し,これを鍛造技術と熱処理技術の制御に役立てた。

 しかし金属の本質,溶解凝固と変態(トランスフォーメーション)の科学的理解の分野には全く貢献しなかった。

 一方、観察機器の金属顕微鏡と知的好奇心の二つの方向が17世から進んだヨーロッパでは,研究に使用できた金属の表面といえば,破面または金属の構造を完全に隠してしまう研磨とつや出しの施された表面だけであった。もし日本人が科学に心を傾け、逆にヨーロッパ人がより優れた金属の技術者であったならば,金属学の歴史は非常に違ったものになったであろう」と述べています。》


 昔、これを読んだ時は読み流していましたが、今なら実感として理解できます。日本刀本来の研磨を刀に施すと、刃肌、錵や匂い、地肌、そして刃先の尖り、全て金属組織として目に見える形で表れてきます。それらを観ることにより宇宙のエネルギー的なものを感じ、美しいと思う心が生まれるのかもしれません。また、刀の優劣の差も現れてきます。

 金属学者とはいえ外国の方が伝統的な研磨によって現れた金属組織を目で見ることにより優れた日本刀を造る技術が発展したことを指摘していることに驚きを覚えながらも、どれだけの日本人がこのことを心に留て日本刀というものを理解しているのか疑問に思いました。


 日本刀の素晴らしさは刃紋のみではなく刀身全体にいかに繊細な焼き入れを施せているかがだいじなのですが、とりあえず今回のコラムでは刃にのみ焦点を当てて「よく切れる」ことについて考えます。


刃先1 刃先2

 仕上げの天然砥石で刃先を研ぐと良刀は(A)のようにすんなりと刃先がとがります。しかし、天然砥石で摩耗しにくい刃付の悪い刀は何度も擦っているうちに(B)のように刃先に0.01mm弱のわずかな曲りができ次第にバリになり物によってはザラつきもでたりします。しかも刃先は柔らかくなり刃持ちも悪るくなってしまいます。そして、バリを取っても刃先が0.003mmよりも大きくなり切れ味がイマイチとなってしまいます。

 コラム第一回で書いた途中まではよく切れるのに天然砥石で刃紋を出して仕上げたら切れ味が少し鈍っていたのはどうもこれが理由のようです。

この違いはいったい何故なのか?刃先3


 おおざっぱな図ですが、天然砥石で研いだ時に刃先の表面の金属組織(結晶)が摩擦で剥がれ落ちるか落ちにくいかの違いで天然砥石による刃付の良し悪しが決まってきます。
Cのように金属組織が程よく結合しているものは刃になりうる硬度があっても天然砥石の泥が表面に食い込み金属組織の表面を剝がして摩耗させ刃先は金属結晶が露出し、その大きさが刃先の大きさになります。
 それに対し、Dは金属組織が癒着したり組織そのものの形が曖昧だったりした場合は天然砥石の訊きが悪くなかなか摩耗しません。それでもゴシゴシとしつこく擦っていると刃も白くなり刃紋も見えてきます。しかし、刃先は(B)のようになって刃先が弱くなり切れ味が悪くなってしまいます。
 それから、一つお断りしておきますが上の図はあくまで単純なイメージ図で実際はもっと複合的な組み合わせの要素があり、かなり複雑な構造になっていると思います。
 昔、正清銘の南蛮鉄で造った錆び刀を研いだのですが、錆びを落とす為に金剛砥石で擦ったら余りにも硬すぎて困りました。どんな現代刀より硬く、しかも軍刀なみに錆が縦に深く入っていたので仕方なく回転機械である程度錆びを落としてから研ぎ進めました。そして、いよいよ最後の内曇り砥石で刃を擦ったら不思議に砥石への食いつきが良く、どんどん刃肌が出て滑らかで鋭利な刃になりました。刃紋も強い乱反射の光を放ち、地鉄も差し込みの拭いがよく訊き十分鑑賞できるレベルになりました。たいへん貴重で不思議なな体験です。その後、真贋不明の康継の南蛮鉄刀も研いだのですが、よく似ており地肌に関しては更に黒々としており見栄えのする刀になりました。要するに、本山砥石と呼ばれる細かい砥石への食いつきに関しては硬さは関係ないという事になります。そうなるとやはり金属組織の構造が関係するのではと考えるようになりました。

では、天然砥石と相性の悪い刀にどのように刃を付ければよいか?
刃先4
 
 答えは簡単でした。包丁やカミソリ、カッターナイフ、手術用のメスなどでも行っている小刃(2段刃)をかなり鋭利で細かな人造砥石で付けることで解決します。天然砥石の内曇りは刃を付ける為ではなく、刃先に触れないようにして刃紋を出す為と割り切って使えば良いだけでした。
 ある種の人造砥石は摩耗させて研ぐというより、強引に削る能力が非常に強い為、何度も擦らなくても刃先が尖ります。その代わり、刃先の大きさは金属組織の大きさではなく砥石の細かさに依存することになります。でも、切れ味から想像すると0.003mm以下の刃先にはなっているようです。

 この刃付けは冒頭に取り上げた文章の西洋的な発想であり、このようにしなければならない刀が果たして伝統的な日本刀と呼べるかどうかは疑問ですが、実際にはそういう刀がほとんどですし武道の稽古で実際に物を斬ったりするにはこちらのほうが良いかもしれません。この研ぎ方は刀の刃先の硬さや鉄の目の粗さに合わせて小刃の大きさや刃先の角度を調整することができるので、刀の個性に合わせた最良の刃先に調整しやすいという事と、使って少し切れ味が落ちた時に簡単に刃立て出来るという利点があります。現代の科学技術が産んだ優れた人造砥石のおかげです。

ただ、やはり刃持ちの良さと切れ味は天然砥石で刃が付く昔ながらの日本刀のほうがかなり良いです。しかし、天然砥石で刃の付く実用的で良い刀というものは少ないです。

 最後に、【刃物のおはなし】という本は素人にも分かりやすい内容ですが、プロの方が読んでも勉強になるようなことも書いています。日本刀に携わっている方にはぜひ読んでいただきたい本です。いろいろなことが書いてますが「大鍛冶がこねくり回した鉄は刀鍛冶に喜ばれない」と名人と呼ばれた大鍛冶の方が語っていた話などは妙に自分の心にのこっています。

コラム-第一回 日本刀の刃について


←戻る