鋩子についての考察

(A)図  鎬位置の厚みと棟の厚みが同じ場合
 研磨の見方で鋩子の形について説明しましたが、(A)図のように鎬位置の厚さと棟の厚さが同じ場合という暗黙の条件付きでした。
 しかし、よくよく考えてみると殆どの刀は程度の差こそあれ鎬が高くなっています。表裏の鎬地が並行というのはどちらかというと少数派のようです。そうなると小鎬部分の造形が(B)図以下のように一筋縄ではいかなくなります。

 その前に強度的バランスを前提にした理想的な鋩子の条件考えてみますと、鋩子の平肉の付き方と刀身の実際に斬る物打ちあたりの平肉の付き方が同じで有ることです。そして(A)図の棟側から見た図のように、切っ先を棟側から見た刃先の角度(形)と刀身の断面の刃先の角度(形)がだいたい同じであるべきです(切っ先が延びて尖るほど小さくなります。=欠けやすくなる。)

(B)図 鎬高-鎬位置の厚みより棟の厚みが薄い
 では、鎬の高い刀はどのようになるのでしょうか?
 横手位置の棟の幅と小鎬の先の幅が同じ場合(B)図のようになってしまいます。
 鎬が高ければ高いほど小鎬の先が切っ先寄りになってしまい鋩子を横から見た場合の格好がいまいちです。

 では、鎬の高い刀が格好の良い鋩子になるにはどうあるべきかというと、(C)図のように小鎬の先の厚さと三ツ頭の厚さが同じならばバランスのとれた形になります。
 口で言うのは簡単ですが、こうするには小鎬の面を平面ではなく、より複雑な三次元の曲面に加工しなくてはなりません。
 実際古い刀は何度か研ぎを繰り返しているうちに(B)図のようになっているものが殆どで、(C)図のようになっているのは現代刀のような健全なものに限られてきます。
(C)図  鎬高でも格好の良い鋩子
 ところで、(B)図のようになっている刀が格好悪いと言って小鎬の先を強引に短くしたら、いったいどうなるのでしょうか?

 答えは(D)図のように切っ先が異様に薄くなってしまいます。このようにしてしまっては見た目が悪くなるばかりでなく切っ先が折れやすくなってしまい本末転倒もよいところです。
 古い刀で(B)図のようにしてしまった刀は横から見たときの鋩子の格好が悪いからといって小鎬の形で調整するというのはもっての外で、決して直すべきではありません。


 さて以上が鋩子の原則であるわけですが、実際の鋩子には大切先や猪首切先、ふくらの度合いの違い、ふくらの曲線の違いがあり、それがその刀の個性となります。
 これらは杓子定規に考えると上記の原則から外れていそうに思えますが、より複雑なバランス感覚での造形を行うことにより原則に則ったような違和感の無い感じになります。
刀の場合は幾何学的な形だけではなく感覚的なバランスも大事ということになります。
(D)図  鎬高の刀の悪い例
(余談ですが下の「日本堂」の文字は実際はかなり右肩あがりになってますが、そのように見えないのも人の持つ美的バランス感覚によるものなのかもしれません。)

 そういえば前に刀の勉強会で出てきた虎徹の鋩子がペラペラになっているのを見てビックリしました。あの虎徹様がです!鋩子の平肉を落とすと横手の線や三ツ頭がハッキリするし、ナルメも綺麗にしあがりますが過度のものは鋩子が弱々しく見えて刀全体を見るとなんとも格好悪いです。刃も欠けやすくなり、こういう鋩子のものに小刃欠けしているものが沢山あります。
 しかし、一度削ったものはもう二度ともとには戻せません。
 鋩子は研師の腕の見せ所と言いつつ、もっとも修正が難しい或いは不可能な部分です。

(余談2-虎徹を見た感想
地鉄一面にチリチリしたチケイがあり独創的な鉄の鍛え方をしてるように思いました。当時の一般の刀鍛冶からはかなり異端者扱いされたのではとよけいな心配までしてしまいました。
 面白いのは石灯籠を斬ったという噂がある程なのにこの脇差しの刃紋が非常に優しげで穏和な性格がにじみでており、そのくせ凛とした感じも受けることです。なんとなく虎鉄に対し”一度会って見たい”という気持ちが自然にわいてくる印象をうけました。)
 
 参考文献;無し