刀剣研磨-研究室--->良刀とは? 01-刃について

 とかく最近では無視されがちですが、日本刀は刃物です。
刃があって機能を果たすわけで、刃の善し悪しによって良い刀か悪い刀かの一つの要因になると思います。
 
 中学生の時、技術の時間に使う学校の鉋と、大工であるうちの親の鉋の切れ味があまりにも違うので不思議な感じを受けたものです。同じように研いでも明らかに違いました。
 日本刀の場合も刃付きの良い物、悪い物、欠けやすいもの、欠けにくいものと性質がまちまちです。良い刃は何なのかを一口いうと、欠けにくく出来るだけ硬ければよいのですが、言うは安しで実際造るとなると大変なことです。
 何年か前に研いだ無銘刀で師匠が「村正じゃ〜」と言っていた刀などは今でも鮮明に脳裏に焼き付くほど素晴らしい刃をしてました。刃付きが良く、刃先に弾力があり、何よりも青白く澄んだ美しい刃の色合いが印象に残ってます。

 刃付きの善し悪しを具体的に説明すると左図のようになります。内曇砥石という目の細かい砥石で研いだときに、良い刃はAのようにスッと尖るのに悪いものはBのようにいつまでも極少のバリができてしまいます。
 ほとんどの刀はBなのですが、その程度によっても良し悪しの違いが出てきます。
 
 
 刃が硬いほどAになりやすいのですが、弾力があって尖るのなら良いのですが、弾力がなく欠けやすいものも多々あります。こういうのは本末転倒でAであっても良い刃とはいえません。
 心象として、昔の刀のほうが現代刀より良い刃をしているものが多いようにおもうのですが、研いだ時の感触に基づき、これから書くような自分なりの構造的な仮説をたてました。

 よく古刀は地刃が現代刀より柔らかいと言われますが、一概にそうともいいきれません。古い刀でも良い刃味の刀は粗砥で研いだ時に案外硬めに感じる場合が多いです。
 ところが、その硬い刃を内雲砥石という目の細かい砥石で研ぐと砥石の乗りが良く以外に早く刃の中の肌がでてきます。肌といっても細かい粒の肌で、刃に白みを帯させます。
 現代刀はこの肌がなかなかでてきません。同じ硬さか、むしろ柔らかいのになぜこのような違いが出てくるのかに注目すると下図のようなイメージの仮説が頭に浮かびます。
 昔の良刀はC図の黄色い粒で表している硬い粒子同士が柔らかい弾衝材てきな鉄かその他の物質で程良く結びついているのかもしれません。
これだと、内曇りで研いだ時に弾衝材が先に無くなり刃肌が出やすくなります。また、硬い粒子そのものが剥がれ落ちることにより、粒子そのものは硬いが研いだときに柔らかく感じるという現象が発生するのだと思います。刃先もバリが出来る前に粒子が剥がれ落ちるので、刃付きもよくなります。
 現代刀はDのように粒子がびっしり詰まっているか、それらが癒着しているような印象のものが多いです。これだと、内曇砥石で研いだときに硬く感じ肌が出にくいのも頷けるし粒が癒着していればバリになりやすくもなります。そして粒そのものの硬度を上げると弾力がなくなり欠けやすくなります。Cは粒そのものを硬くしても弾衝材のおかげで欠けやすくはなりません。

 昔の刀でもDのような印象のものがあるし、Cでも構造が悪く粗悪なものも存在します。一度だけですが、Dのような構造の印象なのに刃付きの良い現代刀も研いだこともあるので、昔の刀が必ずしも優良とはかぎりませんが、Cの構造で良質なものが良い刃になりやすいということは言えます。
 ちなみに一度だけ研いだD構造の良い刃味の刀ですが、その後、同刀工の同じような刀が研ぎに来たときにはイマイチの刃味だったことから、焼き入れ、焼き戻しの絶妙なバランスが偶然生み出したものだったと考えられます。これが必然になれば最高の出来のC構造には及ばないまでも、D構造でもかまわないように思います。

 そういえば、昔の刀で焼き戻しをしていないのではないかと思えるものがあるのですが、C構造ならばそれも可能かもしれません。

 以上、私の仮説をのべましたが、実際の粒は丸ではなく複雑な形をしてるうえに粒の大きさも刀によってまちまちであろうし、全ての刀が同じ構造ではないと思います。あくまで研いだ時の感触に基づくイメージ的な仮説をたてたまでです。ただでさえ刀を造ることは並々ならぬ苦労がある技術かとは存じますが、愛刀家の一人として現代刀工の方にC図のような研磨印象を受ける良い刃味の刀を造って頂きたいと切に願います。
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