刀剣研磨-研究室--->6、仕上げについて

 刀屋さんや展示会で見る仕上げの様式は俗に化粧研ぎと言われているもので、現在、主流となっている様式です。
 しかし、刀を初めて見る人にとっては、普段自分たちが見慣れたこの様式を、どのように感じ、認識するか甚だ疑問です。砥石で擦って刃を拾い白くした部分が刃紋そのものと思っているかもしれませんし、鎬地にメッキを施していると思う人もいるかもしれません。(←ないない ^^;)
 まず、最大の特徴である刃を白く拾う”刃取り”、金属の棒で鎬地を擦る”磨き”、研磨粉で擦る”拭い”について順に考えてみます。

<刃取り>
 だいぶ前に「刀を研いだら前と違う刃紋になった。」と言う人がいましたが、その方は刃を刃艶で擦り、擦りガラスの原理で白くしていることを知りませんでした。
 知っている人でも
・丁子刃などは本来の刃紋と白い刃の部分が明らかに違うのでカッコ悪い。
・刃紋の真実の姿を隠してしまってるのではないか。(実際、トップページのように光をかざして見ないと本当の刃紋は見えない場合があります。)
等の疑問を持った経験があるのではないでしょうか?

 では、何故 刃取りを行うのか?いくつかの理由が考えられます。
・地艶や拭いにより不明瞭となった刃紋を目立つようにする。
・地と刃のコントラストにより迫力を出す。
・磨いた鎬地とのバランスをとるため。
・”土落ち”などの焼刃の欠点を目立たなくし完全な刀に見えるようになる。


 昔の差し込み研ぎなどで匂いの白い仄かな光が刃紋を立体的に見える作用を作り出して大変綺麗なものがありますが、刃取りをしたものは匂い口を微妙にぼやかしても絵画のように平面的になってしまいます。しかし、地の部分を見ると昔の差し込みは地肌を犠牲にしており一概にこちらが良いとは言えません。トータルバランスは化粧研ぎに軍配が上がりそうです。学校の通信簿で5科目のうち1科目が”5”で残りが”1”よりも全教科が”3”か”4”の方が成績が良いようなものです。

 この写真は師匠が開発した新しい差込研ぎです。地肌が見え過ぎるぐらい明瞭なのに刃紋も形がそのまま出てます。刃紋の色は光の当たり方により黒く見えたり白く見えたりします。
 この研ぎは よほど完全なものでないと欠点が非常に目立つので研げる刀が限られてきます。
(2022年追記、鎬地の磨きが無ければ江戸時代より昔に行われていた仕上げ方かもしれません。)

<磨き>
 私が初めて刀を見た時、鎬地の磨きの跡を柾目鍛えの肌と勘違いしてました。そして、地の部分との質感の違いに妙な違和感を感じた事を覚えています。
 見慣れてしまうと質感の違いがコントラストとなり鉄だけの単一素材という単調になりがちなことを防いでいるようにも思います。見方によっては、横に切ったミカンの皮の部分が鎬地で地や刃が食べる果実の部分のようなイメージにも見えないこともないです。

磨きによる効能
・コントラストにより迫力をだしたり、単調さをなくす。
・荒れの多い鎬地を目立たなくする。
・鎬が明瞭となる。


磨きによる副作用
・鎬地の肌の微妙なところが見えなくなる。(大まかな肌は見える)
・一歩間違えると安っぽく見えてしまう。


 鎬が曖昧な研ぎでも磨きにより明瞭となるため誤魔化しがきくが、やはり厳粛さのようなものがなく安っぽく見えます。 しかし、刀を見慣れていない人や下地のいい加減な刀に目が慣れた方は分からないかもしれません。そのような刀は磨きの無い状態だと見れたものではありません。
 鎬地に荒れが無く真面目に下地を研いでいるものは磨かなくても綺麗ですが、経験的に古い刀は鎬地に鍛え荒れがある刀が多いので、磨きが必要となります。もしかしたら、荒れの多い鎬地をどうにか綺麗にしようとして誰かがあみだしたのが”磨き”が生まれた一番の理由ではないかと考えてます。磨きがいつのまにか悪い研ぎの誤魔化しに用いられていることは悲しいことです。刀の為にも良くありません。

<拭い>
 拭いに関しては私自身まだ経験が少ないため、とやかく言うことができませんが、最近、刀屋さんや展示会に行くと安直にテカテカさせたものが目に付くように思います。

 もともと綺麗な刀は地艶をかけただけで大変美しいもので、むしろ錵や微妙なチケイ、映りが明瞭なので拭いを差すのがもったいないくらいです。
 でも世の中に存在する刀が全て美しい肌というわけではないので拭いが必要となってきます。

 ところが、またしてもという感じですが、時々内曇りや地艶を乱暴に行い拭いで光らせて誤魔化している研ぎを見かけます。こちらも初心者の方は単純に美しいと思うかもしれません。

<仕上げに関する総論>
 化粧研ぎは必ずしも刀の良さを完全に引き出しているとは言えませんが、より多くの刀を美しい状態にしてこの世に存在させるという意味合いで、バランスのとれた素晴らしい様式です。
 欠点がまったく無い刀というのは稀で殆どの刀は何かしら有るものです。そもそも美術品としてではなく武器として製作され、結果としてたまたま美しくなったという性格上当然のことと言わねばなりません。化粧研ぎは欠点を隠し良いところを隠さないように努力し、美術品と呼べないような刀も含め多くの刀を美しい状態にして大切にしてもらいたいという願いが感じられます。
 刀のいらなくなった現代に刀剣界があるのもこの様式のおかげかもしれません。このような様式を定着させた先人の方々には感謝とともに敬意をはらっております。
 しかし、前述したように必ずしも刀の良さを引き出してない場合もあるし、悪い研ぎの誤魔化しに利用されているのも現実です。
 そこで、刀を売ったりする場合以外はもっと自由な研ぎがあっても良いのではないかと思います。化粧研ぎはもちろん、昔の差し込みも良いし、新しい差し込みも良し、刃艶、地艶のみも良しという具合です。ものによっては針磨きも無くて良いのではないでしょうか。下地研ぎえキチッとやっていれば刀はダメになりません。そうすれば、もっと刀を楽しめると思います。
 今は化粧を師匠におまかせしてますが、そのうちいろいろ試してみようかと思います。しばらくお待ちください。(その前に完璧な化粧研ぎをマスターしなければ・・・。)

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