刀剣研磨-研究室--->刀の魅力

 先月の日刀保三重県支部勉強会にて包貞銘の照包があったのですが、心底惹きつけられました。どちらかと言えば派手な刃紋の嫌いな自分が何故こんなに魅せられたのか文章にまとめてみたいと思います。
 この照包は上図のように矢筈がかった乱刃で、姿は反りが少なく見た目は不格好な感じにもみえますが、非常に手持ちのバランスが良い刀で、思わず振ってしまいたくなるような刀でした。
 この刃紋の化粧研ぎの刃取りはどうしても”のたれ”というか”箱乱れ”風になってしまうのですが、やはりこういう刃取りの不可能なものは差し込み仕上げが良いように思います。
 私は誰が造ったか?よりもどういう性質、性格の刀か?ということが気になってしまいます。そこでまず見るのが地鉄で、鍛冶がどういう思いで鍛えそれが形となってどう現れているかをチェックします。
 この刀は地に不要な荒錵が一つも無く、小錵が刃縁に品良く付き地鉄は小錵が付きたがっているかのような生気のある鉄色をしております。かといって、最高の鉄を使って上品に綺麗に鍛えているわけではなく、やや乱暴な印象を受ける大肌まじりの肌をしており、鉄も良い物を使ってはいますが、最高と言えるようなものではなさそうです。
 そして、この地鉄の最も気になった見所は、ほんのりと滲み出したかのような短めの地景が地鉄全体に散らばっており、鉄が明るく見え生き生きとしております。
 刃先近くの硬い部分には、これもほんのりと細い匂い足が無数にあり、刃に弾力をもたせようといういう意志が強く感じられます。
 刃について先に”矢筈がかった乱刃”と書きましたが、あえて言わせてもらえばこの刀は直刃です。という根拠は、上図の斜線の部分に直刃調に硬い刃があり、矢筈がかった部分はそれよりもだいぶ柔らかくできており、いかにも地の補強のためという感じだからです。そういえば、前に見た派手な丁字の長光も5mmくらいの幅のしっかりとした直刃があり丁字の部分は地の補強では?というような印象がありました。地の補強と考えると物打ちよりもハバキ上が派手になっていたのも頷けます。そして3段階構造というか匂い足、葉の絡まった更に複雑な刃の構造をしてました。(それに映りが加わると4段階、5段階構造か?なんにしても複雑です。そして微細な粒子が程良い結合で固まったような刃先の鉄がなんとも素晴らしいです。)

 この照包は、熟成された古刀のような魅力ではなく、若くて一途で純粋な覇気があり、ある意味新鮮に感じられ「これはこれで良いのでは。」ということで大好きになってしまいました。前に虎徹で書いたような会ってみたくなるような人格のようなものは感じられませんでしたが、刀に対する真剣さがこの照包から伝わってきます。
 ところが、それから数日後、言之進照包銘の脇差しと並べてみる機会がありました。こちらは綺麗な”のたれ”で地鉄も先の刀よりかなり良い物を使っているのですが、自分にとっては嫌な荒錵があり、刃紋もたしかに深い匂いで綺麗なのですが刀のような意志が感じられません。かといって崇高な人格というものも感じられないし、ただ綺麗なだけという印象です。
 そういえば、井上真改も国貞銘のものは好きな刀が多いのですが、真改銘のものでアレ?と思うときがよくあります。綺麗だけど惹き付けられるものが全くありません。

 もしかしたら、今の自分では理解できないだけなのかもれませんが、こればかりは年をとってみないとわかりません。・・・いや、刀の勉強会の時に、こういう特徴は誰の作とかだけではなく、この刀の魅力は何なのかということをもっと話し合うとよいのかもしれません。
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